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東京地方裁判所 昭和52年(ヨ)2354号 判決

申請人 阿部秋男 外三名

被申請人 ブリティッシュ・エアウェイズ・ボード

主文

本件申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

事実

第一申立

一  申請人ら

1  申請人らが被申請人の従業員の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は、申請人らに対し、別紙目録未払賃金額欄記載の金員及び昭和五三年一二月から本案判決確定まで毎月二六日同目録月例賃金額欄記載の金員を仮に支払え。

二  被申請人

主文第一項と同旨

第二主張

一  申請の理由

1  申請人阿部は、昭和五一年七月一日、被申請人の正規の従業員となつた。

2  (一) 申請人牛山は昭和四六年三月五日から、同諏訪は昭和四八年三月二六日から、同福田は同年九月一五日からそれぞれ株式会社花王社クリーニング店(昭和四八年四月花王航空事業株式会社と商号変更。以下「花王社」という。)に形式上雇用されている航空機整備員(以下「花王社整備員」という。)として被申請人の技術部に派遣され、就労していた者である。

(二) 申請人牛山、同諏訪及び同福田の採用及び就労の実態は、次のとおりである。

(1) 花王社は、昭和三〇年一〇月被服類のクリーニングを業とする有限会社花王社クリーニング店として設立され、昭和四四年株式会社に組織変更されたものであるが、昭和三九年頃から民間航空輸送業を目的とする英国国営の公社である被申請人の航空機の機内清掃を行うようになり、更に昭和四三年五月ないし八月から被申請人に航空機の整備員を派遣するようになつた。

(2) 花王社は、航空機整備に関する羽田空港構内営業許可を受けておらず、整備に必要な機械を保有せず、整備作業を完成するに必要な人員も有していない。また、花王社には、同社から派遣した整備員に対する指揮監督及び出退勤管理その他の労務管理を行う者はいないし、整備員に適用すべき就業規則もなかつた。

(3) 花王社整備員の賃金は、被申請人の従業員の一か月所定労働時間の就労について一人当り二四七、五〇〇円(昭和五二年二月当時)及び右所定労働時間を超える分について割増金並びに年二回被申請人の従業員に対する一時金支給時にそれぞれ右一か月分の金銭を被申請人が花王社に対して支払い、花王社整備員の申請人らは、同社を経由して賃金の支払を受けたが、同社に独自の賃金体系があつたわけではなく、同社が右受領金額のうちの一定割合を取得し、残余を花王社整備員の分配に委ねていた。ただ、花王社は、社会保険上の雇用主の地位にあつたのみである。

(4) 申請人牛山は、昭和四六年三月五日、当時花王社整備員として被申請人の技術部で就労していた林忠光の紹介により技術部長秘書竹本文治に面会し、同人からすぐ働くように言われて、即日技術部で就労した。そして、二、三日後花王社の担当者と会い、初めて賃金や社会保険の話をされたが、その他のことは被申請人にきいてくれとのことで何の説明もなかつた。

申請人諏訪は、新聞広告に英国航空車両整備員とあるのをみて花王社に行つて採用され、昭和四八年三月まで被申請人の車両整備や機内清掃に従事していたが、技術部の竹本秘書、伊東春男らの申入を受けて同月二六日から技術部整備員として勤務した。

申請人福田は、被申請人の整備技師榎本博から花王社を紹介されて昭和四八年九月一四日同社に行き、その場で採用を決定されたが、作業の内容は被申請人から直接きくように言われて全く説明のないまま翌日から被申請人のもとで就労した。

以上のように花王社整備員の採否は事実上被申請人の意思によつて直接決定されており、これを受けて花王社が雇主となつて被申請人に派遣している。

(5) 被申請人は、昭和三七年頃以降自社で直接整備員を採用したことがなく、すべて花王社整備員のうちから派遣の古い順に正規従業員として登用し、その数は八名(昭和四六年一名、同四七年五名、同四九年一名、同五〇年一名)に上る。

(6) 申請人阿部は、昭和五一年被申請人の正規従業員となつたとき、本来新採用者の基本給は一三六、九三〇円であるはずなのに、同申請人が昭和四四年一一月から被申請人の技術部において花王社整備員として働いていたため、在職第八年目として一六八、四八〇円の基本給とされた。このような計算方法は、同申請人以前に花王社整備員が被申請人に正規採用になる場合常にとられていた。

(7) 被申請人の技術部は、東京国際空港において離着陸する航空機の整備とこれに関連する業務を行つており、技術部長を最高責任者とし、その下に技術部長秘書、免許を持つた整備技師(デユーテイ・エンジニア)四人、無線技師二人、整備員二四人、その他三人合計三四人で成つている。整備員二四人は、四人ずつ六班に編成されて交替制勤務を行うが、各班には班長(シフト・リーダー)が一人おり、六人の班長のうち一人は先任班長(シニア・シフト・リーダー)と呼ばれる。整備員二四人のうち正規従業員は一七人で、残り七人は花王社整備員である。

花王社整備員は各班に入りまじつて所属し、正規従業員と一体となつて就労し、作業上の指揮命令は、正規従業員と等しく、技術部長、整備・無線技師及び班長から直接受けている。

(8) 花王社整備員の勤務表(ロスター)は、班ごとのものを被申請人の技術部長が作成し、日常の出退勤の記録も技術部長秘書が作成・集計・管理をし、花王社は全く管理をしていない。休暇・遅刻・欠勤の連絡は、花王社整備員本人から班長、先任班長又は技術部長秘書に対して行われ、花王社に対する連絡はない。残業は、主に整備技師の判断で花王社整備員に業務命令が出される。また、勤務予定の班員が病気などで欠勤するときは、非番の花王社整備員が直接被申請人から呼出を受けて就労する。

(9) 東京国際空港の立入制限区域(ランプ)及び保税区域における整備作業を行うため右同所への立入に必要な空港長又は税関長の発行する許可証は、花王社整備員についても被申請人が自社の整備士として申請し、取得している。

(10) 被申請人は、花王社整備員に対し、正規の従業員と同じく、被申請人の社名入りのカバーロール(つなぎのユニホーム)、ゴム靴、安全靴、上下の雨具、帽子等を無償で貸与している。

(三) 以上のように被申請人と花王社整備員との間には使用従属の関係があるので、両者間の合意の有無にかかわらず、両者間には労働契約関係がある。従つて申請人牛山、同諏訪及び同福田は、いずれも被申請人の労働者の地位にあつた。

また、前記(二)のような使用従属関係からすれば、右各申請人と被申請人との間には黙示の雇用契約が成立していた。

3  被申請人は、申請人阿部に対し昭和五二年四月一日以降、その余の申請人らに対し同年二月二五日以降その就労を拒否し、賃金を支払わない。

4  申請人らの取得しうべき賃金等の額は、別表1ないし4のとおりであつて、昭和五二年四月から昭和五三年一一月までの未払賃金額は、別紙目録未払賃金額欄記載のとおり、昭和五三年一二月からの毎月の賃金額(支払日二六日)は、同目録月例賃金額欄記載のとおりである。

5  申請人らはいずれも労働者であり、被申請人から支払われる賃金を唯一の収入とする者であるから、申請人らが被申請人の従業員の地位を有することを仮に定め、かつ、被申請人が昭和五二年四月から昭和五三年一一月までの未払賃金額(別紙目録未払賃金額欄記載のとおり)及び同年一二月から本案判決確定まで毎月二六日それぞれの月例賃金額(同目録月例賃金額欄記載のとおり)を仮に支払うことを求める。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1の事実は認める。

2  (一) 同2(一)の事実中、申請人牛山、同諏訪及び同福田が花王社に雇用され、申請人牛山が昭和四六年三月五日から、同諏訪が昭和四七、八年頃から、同福田が昭和四八年九月一四日頃から被申請人の技術部で整備作業をするようになつたことは認めるが、その余は否認する。

(二) (1) 同(二)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実は認める。

(3) 同(3)の事実中、被申請人が花王社に対し申請人ら主張の金額を支払つていること、花王社が社会保険上の雇用主の地位にあることは認めるが、その余は否認する。

(4) 同(4)の第一ないし第三段の事実中、申請人牛山が昭和四六年三月五日から、同諏訪が昭和四七、八年頃から、同福田が昭和四八年九月一四日頃からそれぞれ被申請人の航空機整備作業に従事していることは認めるが、その余は不知。

同第四段の事実は否認する。

(5) 同(5)の事実中、被申請人が昭和三七年頃以降自社で直接整備員を採用したことがなく、すべて花王社整備員のうちから古い順に正規従業員として雇用し、その数が八名に上ることは認めるが、その余は否認する。

(6) 同(6)の事実中、新採用者の基本給が昭和五一年当時一三六、九三〇円であつたこと、申請人阿部が昭和四四年一一月から被申請人の技術部において花王社整備員として働いていたこと、同申請人が昭和五一年当時は一六八、四八〇円の基本給とされていたことは認めるが、その余は否認する。

(7) 同(7)前段の事実は認める。

同後段の事実中、花王社整備員が被申請人の従業員と一緒に就労していること、技術部長、整備・無線技師及び班長から作業上の指揮命令を受けていることは認めるが、その余は否認する。

花王社整備員は一定の作業を行うことを許可されておらず、その予定された労務は整備業務の補助にすぎなかつた。

(8) 同(8)の事実中、花王社が同社整備員の出退勤の管理を行わず、休暇・遅刻・欠勤の連絡が同社に対してなされていないことは否認し、その余は認める。

技術部長秘書が作成した花王社整備員の出退勤の記録は、すべて花王社にまわされ、同社の賃金計算や被申請人に対する追加料金請求の資料として用いられていた。

(9) 同(9)の事実については、申請人諏訪及び同様に花王社の整備員である申請外伊東進の空港長の許可証は花王社からの申請によつて交付されていたのであるが、右の点を除き認める。

(10) 同(10)の事実は認める。

(三) 同(三)の主張はいずれも争う。

被申請人は、昭和四三年以来花王社(ただし当初は同社の関連会社である株式会社花王エアークラフト・サービス)との間で、花王社が同社の雇用した従業員を被申請人の技術部に派遣し、被申請人がシンガポール航空その他の航空会社から受託している航空機整備業務及び被申請人の航空機の整備業務の補助をさせ、被申請人が花王社に対しその報酬として料金を支払うとの内容の整備請負契約を締結し、花王社は右契約に基づき被申請人に花王社整備員を派遣していたのであり、花王社整備員は被申請人の指揮命令の下で就労してはいるが、契約方式及び身分上・待遇上の処遇が被申請人の正規従業員とは明確に異なり、花王社整備員においてこの違いについての明確な認識があり、被申請人も花王社整備員も同人らが被申請人の従業員でないとの明確な意識を持つていたから、申請人牛山、同諏訪及び同福田と被申請人との間に雇用契約が成立する余地はない。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実中、申請人阿部が未だ在籍しているとすれば、同申請人がその主張の基本給、住宅手当、特別手当及び一時金を受け得ること、被申請人の技術部に整備員として雇用されている者の月例賃金が毎月二六日に当月分支払われていることは認めるが、同申請人は昭和五一年七月一日被申請人と労働契約を締結したので、年功給は昭和五三年七月一日から一、〇〇〇円を受け得るのみである。

また、その余の申請人らの受け得る金額はすべて否認する。

5  同5について、保全の必要性は争う。

三  抗弁

1  被申請人は、昭和五二年二月二五日、申請人阿部に対し、同年三月末日で解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。

2  仮に申請人牛山、同諏訪及び同福田が被申請人の従業員の地位を有する者であつたとしても、被申請人は、昭和五二年二月八日、右申請人らを代表する労働組合との交渉において花王社との整備請負契約の解除と花王社整備員の就労不要を通告し、更に同年四月一日以降右申請人らが強行就労を行つたのに対し、同人らに就労の中止を求めて来たので、遅くとも右同日には同人らに対し解雇の意思表示がされたものといえる。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2の事実中、被申請人が労働組合との交渉において花王社との整備請負契約の解除と花王社整備員の就労不要を通告したことは認めるが、その余は否認する。

五  再抗弁

被申請人の申請人らに対する解雇は、次の理由により権利の濫用として無効である。

1  被申請人は、シンガポール航空から請負つていた航空機整備請負契約が昭和五二年四月一日以降解約されて整備員に余剰が生ずることを理由として、正規の整備員三名を解雇し、ほかに花王社整備員七名が花王社から解雇された。これによつて被申請人の技術部の整備員二四名中一〇名が整理された。

2  被申請人の技術部は、昭和五二年三月末日まで二四名の人員で週四六便の運航整備作業を行つていたが、同年四月一日以降右のうちシンガポール航空の一四便がなくなり、整備員が一〇名整理されたため、一便当りの整備人員数が減つて、労働過重、整備不十分の事態をもたらしている。

従つて、本件人員整理は、シンガポール航空との間の整備請負契約解約を口実として技術部における大合理化を狙つたものであり、人員整理を行わなければ経営が困難になる程の人員整理の必要性は存在しない。

3  被申請人は、昭和五二年一月二八日、労働組合に対し、一〇名の人員整理を行う旨通告したが、そのときから一貫して右整理は絶対的なもので変更できないという態度をとりつづけ、労働組合が団体交渉において事実に基づく反論を加え、方針の撤回と再検討を求めたが、被申請人は全くこれに応じなかつた。また、労働組合が、技術部において若干名の整備員が余剰になるとしても、それは他部署への配置転換その他企業努力により避けるべきであると主張したが、被申請人は、一〇名の解雇を前提としないならば団体交渉をしないとの態度をつづけた。更に、被申請人が団体交渉の席上で提出した人員整理を決定する資料となつた勤務表は、不合理で、労働組合の指摘により訂正を繰返さざるをえないものであつた。

以上のように、被申請人は、本件解雇について労働組合及び被解雇者本人と誠意のある交渉を行つていない。

4  被申請人は、全世界で五万人を超える従業員を有し、企業規模あるいは業績において世界で一、二を争う大航空会社であり、近い将来大阪乗入れになることが予想され、成田開港の事情をも併せると、もとの技術部の二四名の人員でも不足するものと考えられる。

六  再抗弁に対する答弁

1  再抗弁1の事実中、被申請人がシンガポール航空から請負つていた航空機整備請負契約が昭和五二年四月一日以降解約されて整備員に余剰が生ずることになつたため人員整理の必要が生じたこと、被申請人は結局正規の整備員一七名中一名を解雇したことは認めるが、その余は否認する。

花王社整備員で同社から解雇された者は、申請人牛山、同諏訪及び同福田の三名のみである。

2  同2の事実は否認する。

被申請人が他の航空会社から請負つていた航空機整備業務は、何時減少するかも知れない不安定な業務であり、花王社整備員及び正規従業員中花王社整備員から登用された者も右の不安定な業務の一時的増大に応じて受入ないし採用された臨時的・補助的要員であつた。従つて、シンガポール航空から請負つていた整備業務の削減に対処するためには、まず右の者が整理対象とならざるをえなかつた。シンガポール航空から請負つていた整備業務の航空機整備業務全体に占める割合は、その機種及び契約により定められていた整備の内容等からいつて、極めて大きく、単に便数では表現しえないし、一日の中における航空機の発着時間を無視して労働強度を算定することもできない。また、被申請人の技術部においては、人員削減の前後を通じて、技術部長及び同補佐各一名、ライセンス技師四名、ライセンス電気技師二名が整備業務に従事する要員として配置されている。被申請人の人員整理後の新勤務表によつても、何ら支障なく、十分に航空機は整備を完了されており、整備員の休暇取得、超過勤務等の状況も人員整理前とほとんど変りがない。更に、被申請人の東京支社は従業員が過剰(昭和五二年一〇月一日現在地上職二一八名)となつており、これ以上の人員過剰を来たすことは経営上許されない実情にある。

3  同3の事実中、被申請人が昭和五二年一月二八日、労働組合との間で、花王社との請負契約解約及び解雇による人員削減について協議を行い、そのとき非公式に約一〇名の整備員の人員削減が必要であることを示唆したこと、右削減人員数につき変更できないと回答したこと、労働組合と団体交渉をしたこと、団体交渉の席でいくつかの勤務表を提示し、そのうちの一部につき話合いで修正を加えたことは認めるが、その余は否認する。

被申請人は、申請人阿部を含む三名の整備員に対し解雇予告をしたが、技術部内で定年に近い者について早期定年退職の希望者を募集し、二名の希望者があつたので、昭和五二年三月一四日解雇予定者三名のうち二名につき解雇予告を撤回し、申請人阿部のみが残つた。更に、被申請人の運航部所属の運転手一名が同年四月三〇日付で定年退職することになつており、この欠員は補充しない予定であつたが、被申請人は申請人阿部に対しこの職を提示した。しかし、同申請人はこれを拒否した。

他方、花王社整備員については、被申請人は、このうち一名を右運転手の職に採用し、その他三名の者には特別慰労金を支給し、これらの者は花王社を合意により退職して、申請人牛山、同諏訪及び同福田のみが残つた。被申請人は、更に右申請人らのために他への就職の機会をあつせんしたが、すべて右申請人ら又は労働組合により拒否又は無視された。このように、被申請人は、正規の整備員のみならず花王社整備員についても人員削減に伴う苦痛をできる限り軽減するため可能な限りの措置をとつた。

4  同4の事実中、被申請人の従業員数が五万人を超えることは認めるが、その余は否認する。

第三証拠〈省略〉

理由

一  申請人阿部が昭和五一年七月一日被申請人の正規の従業員となつたことは、当事者間に争いがない。

二  申請人牛山、同諏訪及び同福田と被申請人との間に労働契約が成立していたか否かを判断する。

1  右申請人らは、右申請人らと被申請人との間の使用従属関係に照らせば、両者間の合意の有無を問わず労働契約関係が成立していたというべきである旨主張するが、労働契約も一般の契約と同様両当事者の意思表示の合致によつて始めて成立するものであるから、右主張は採用することができない。

2  そこで、次に、右申請人らと被申請人との間に黙示の労働契約が成立したか否かを判断する。

(一)  次の事実は、当事者間に争いがない。

右申請人らは花王社に雇用され、申請人牛山は昭和四六年三月五日から、同諏訪は昭和四七、八年頃から、同福田は昭和四八年九月一四日頃からいずれも被申請人の技術部において航空機の整備作業に従事するようになつた。花王社は、昭和四三年五月ないし八月から被申請人に航空機の整備員を派遣するようになつたが、航空機整備に関する東京国際空港(羽田)構内営業許可を受けておらず、整備に必要な機械を保有せず、整備作業を完成するに必要な人員も有していなかつた。また、同社には、同社から派遣した整備員に対する指揮監督及び出退勤管理その他の労務管理を行う者がなく、整備員に適用すべき就業規則もなかつた。被申請人は、花王社に対し、花王社整備員が行う被申請人の従業員一か月所定労働時間の就労について一人当り二四七、五〇〇円(昭和五二年二月当時)及び右所定労働時間を超える分について割増金並びに年二回被申請人の従業員に対する一時金支給時期にそれぞれ右一か月分の金銭を支払つていた。被申請人の技術部は、羽田空港において離着陸する航空機の整備とその関連業務を行つている部門であり、技術部長の下に同秘書、整備技師四名、無線技師二名、整備員二四名、その他三名、合計三四名から成り、整備員は四名ずつ六班に編成され、各班には班長が一名おり、六名の班長のうち一名は先任班長と呼ばれていた。整備員二四名のうち正規従業員は一七名で、残り七名は花王社整備員であつた。花王社整備員は正規従業員と一緒に就労し、これに対する作業上の指揮命令は、正規従業員に対する場合と同じく、技術部長、整備・無線技師及び班長から直接なされていた。花王社整備員の勤務表は、班ごとのものを被申請人の技術部長が作成し、日常の出退勤の記録も同秘書が作成していた。休暇・遅刻・欠勤の連絡は花王社整備員本人から班長、先任班長又は技術部長秘書に対して行われ、残業は主に整備技師の判断で花王社整備員に対し業務命令がなされ、また、勤務予定の者が病気等で欠勤するときは、非番の花王社整備員が被申請人から直接呼出を受けて就労していた。空港長又は税関長の発行する立入制限区域又は保税区域への立入許可証は、花王社整備員についても一、二の例外の場合を除き、被申請人が自社整備士として申請し、取得していた。被申請人は、正規従業員に対すると同様、花王社整備員に対しても社名を表示したカバーロール、ゴム靴、安全靴、上下の雨具、帽子等を無償で貸与していた。

以上の花王社整備員の就労の実態によれば、申請人牛山、同諏訪及び同福田は、被申請人の指揮命令の下で被申請人の正規従業員とほぼ変らない形で労務を提供し、しかも被申請人はある点において右申請人らが被申請人の従業員であるかのような外観を与えていたものということができ、これらのことは、右申請人らと被申請人との間に黙示の労働契約が成立していたと推認することができる一つの事情であるといえないではない。

(二)  そこで、右申請人ら、花王社及び被申請人三者の関係について更に考察する。

(1) 成立に争いのない疎甲第一〇、一一号証、疎乙第七二号証の一、二、第七三号証、第八三号証の一、二、第八四号証の一、第八六、八七号証の各一、証人実方昇暘の証言により真正に成立したものと認められる同第四六号証の一ないし一二、証人実方昇暘の証言、弁論の全趣旨によれば、花王社は、昭和三〇年一〇月七日有限会社花王社クリーニング店として設立された会社であり、伊藤幸平を代表取締役とし、主たる目的は被服類のクリーニング業であつたが、昭和四四年一一月一七日組織を変更して株式会社花王社クリーニング店となり、目的に航空機のクリーニング及び清掃に関する業務を追加し、更に昭和四八年四月一七日商号を花王航空事業株式会社と変更し、目的を被服類のクリーニング業、航空機内外のクリーニング及び清掃に関する業務、航空貨物の搭載及び取卸しに関する業務、航空貨物集積所の貨物仕訳及び運搬に関する業務、航空機内用品の点検及び整備に関する業務、染色加工業と変更して現在に至つていること、同社は、東京都大田区南蒲田三丁目一四六〇番地(伊藤幸平所有土地)所在建物(同人所有)に事務所を置き、右土地上に四階建(総床面積四七三・五七平方メートル)の工場兼倉庫を所有するほか、同区本羽田二丁目一六九番二に九二三・六九平方メートルの土地を、同地上に地上四階地下一階の工場兼事務所(総床面積一、八一九・〇六平方メートル)を所有していること、その資本金は九〇〇万円で、従業員数は、昭和四九年当時で四〇名程度であることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 成立に争いのない疎乙第一号証の一、第二号証の二、第七七号証、原本の存在及び成立に争いのない疎甲第六二ないし第六四号証、証人実方昇暘の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第五四号証、第六三号証、証人大村隆則及び同実方昇暘の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、花王社の関連会社である株式会社花王エアークラフト・サービスは、米軍横田基地においてパン・アメリカン航空の行う軍用機整備作業のため整備員を派遣していたが、昭和四三年六月頃右業務縮小の必要が生じたこと、他方、その頃、被申請人においてはシンガポール航空(当時の名称マレーシア・シンガポール航空)から整備を請負つていた航空機が増便となつて整備業務が増大したため整備員が必要となり、同月二六日、以前から被申請人の航空機の機内清掃を請負つていた花王社と被申請人との間で花王社が同月三〇日から羽田空港において被申請人の技術部長の管理の下に四名の有経験整備工を派遣することが合意され、それまで横田基地で就労していた株式会社花王エアークラフト・サービスの整備員が羽田に移転し、右同日から花王社所属として被申請人の技術部で就労するようになつて、それ以来花王社では常時数名の整備員を右技術部に派遣して来たこと、花王社は整備員の派遣のほかに被申請人から航空機内の清掃、飲料水の補給、航空機の汚物処理及び航空機の枕カバー、おしぼり、毛布等の洗濯の業務を請負つていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 前掲疎甲第六二号証によれば、被申請人は、花王社から整備員の派遣を受けるのに対し、当初整備員一名当り九二、三〇八円の割合で料金を支払うことが合意されたことが認められ、その後右料金が改訂されて、昭和五二年二月当時には前記(一)のとおりの金額が被申請人から花王社に支払われていた。

(4) 前掲疎甲第六三、六四号証及び疎乙第四六号証の一ないし一二、成立に争いのない疎乙第三五、三六号証、第三七号証の一、二、第三八ないし第四一号証、原本の存在及び成立に争いのない同第六二号証の一ないし五、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎甲第三二号証、証人大村隆則及び同実方昇暘の各証言によれば、花王社は当初花王社整備員の給料額を一定の基準に基づいて決定し、昇給させていたが、各人の給料額はまちまちであり、また、その給料を構成する各種手当の項目は他の花王社従業員の給料と同じであり、被申請人の従業員のそれとは異なつていたこと、花王社整備員の給料額が被申請人の正規整備員のそれより少なかつたため、昭和四九年、花王社整備員は、花王社社長に対し給料改善等の交渉を行い、その結果、花王社社長は、同年八月分の給料以降、被申請人から受取つている月例賃金と残業手当相当額については三分の一、一時金相当額については一〇分の一を取得し、その余の金額の配分を花王社整備員同志の間で決定するに任せることにしたこと、そこで、花王社整備員は、任された金額の総枠内で各人の年令、年功、経験等を考慮し、給料の格付を行い、これを花王社に伝え、花王社からその金額で給料の支払を受けたこと、その後も花王社整備員は花王社社長に賃金の要求を提出し、花王社が被申請人から受取るべき報酬の改訂額が不十分であるときは、花王社社長に対し、更に被申請人に要求をするよう迫つていたこと、また、被申請人は花王社整備員が支払を受けている給料額を知らなかつたこと、花王社整備員が当初時間外手当の支払を受けていなかつたため直接被申請人の技術部長に対して時間外手当の請求をしたことがあつたが、同部長は、その問題は花王社整備員が花王社と話し合うべきものであると述べて交渉に応じなかつたこと、花王社整備員は毎月の給料及び一時金を花王社の事務所まで行つて受取つていたこと、被申請人は国鉄ストライキの際に出勤して来た花王社整備員に対し車代として金銭を直接支払つたことがあるが、それ以外には直接花王社整備員に金銭を支払つたことはないこと、花王社は花王社整備員が被申請人の正規従業員に採用されるなどして花王社から退職する際には退職金名下に一定額の金銭を支払つていたことをそれぞれ認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(5) 前掲疎甲第六三号証及び疎乙第四六号証の一ないし一二、成立に争いのない疎乙第四二号証の一ないし一七、証人大村隆則の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第一五ないし第一七号証、証人実方昇暘の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第四三号証の一ないし一二、第四四号証の一ないし一〇、第四五号証の一ないし一二、第四七号証の一ないし五〇、証人大村隆則及び同実方昇暘の各証言によれば、花王社整備員が花王社に採用されるときは、花王社に赴き庶務担当の高橋功の面接を受け、次いで被申請人の技術部長秘書のところへ行き、同人から就労時期についての指示を受けていたこと、またその場合技術部長による面接は要件となつていなかつたこと、申請人牛山の場合は花王社に行く前に技術部長秘書のところへ行つて就労の指示を受け、三日位してから花王社の高橋功と会い、同人から給料、保険等の説明を受けているが、それは、当時花王社整備員として技術部で就労していた林忠光から勧誘を受けた場合であつたこと、申請人諏訪の場合は、被申請人の車両整備を行う要員として花王社に採用され、当初被申請人の運転課において車両整備作業に当つていたが、その後被申請人の所有車両台数が減少したため花王社が請負つていた被申請人の航空機内清掃担当に配属され、更に昭和四八年三月花王社の高橋功、被申請人の技術部長秘書らから勧誘されて航空機整備担当に移つたものであること、また申請人福田の場合はまず花王社に行つて高橋功から給料の説明を受け、その翌日同人につれられて被申請人の技術部長秘書と面会していること、花王社においては、花王社整備員の履歴書がその他の花王社従業員の履歴書と一体となつて保管され、賃金台帳も花王社整備員の分とその他の花王社従業員の分とが一体となつて作成保管されていたこと、花王社は、花王社整備員のために企業年金保険及び団体生命保険にも加入していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(6) 前掲疎甲第六四号証及び証人実方昇暘の証言並びに弁論の全趣旨によれば、被申請人においては花王社整備員の出退勤の記録を作成していたが、右記録は、被申請人が花王社整備員の人事管理を行うために利用されるのではなく、花王社が被申請人に対する追加料金請求の資料として用いるため、被申請人の技術部長から花王社宛に交付されていたことが認められる。

(7) 成立に争いのない疎乙第一二号証の二ないし四、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同号証の一、証人大村隆則及び同実方昇暘の各証言によれば、花王社整備員から被申請人の正規整備員に採用された者のその採用時の給料額は、花王社整備員として被申請人の技術部において就労していた期間を在職期間として計算するのではなく、右採用時に新規に採用されたものとして給料決定がなされていたことが認められる。

(8) 成立に争いのない疎乙第一六ないし第一八号証、第二〇、二一号証、証人実方昇暘の証言によれば、英国航空労働組合は、昭和五一年一一月、団体交渉の議題の一つとして「花王メカニツク問題」を取上げ、花王社整備員を臨時雇用として直傭化すべきことを要求したが、これに対し、被申請人は、花王社整備員を常傭社員として採用することも臨時工として採用することを考慮することもできない旨答えると共に、花王社の経営者が七名の花王社整備員に対し何か改善できる立場にあるかを調べるために同経営者と接触することを約束したことが認められる。

前記(2)の花王社整備員派遣の経緯と前記(一)の花王社整備員の就労の実態とを併せて考えると、被申請人と花王社との間の契約は請負契約ではなく、被申請人の指揮監督に服する労働者を花王社が供給する契約であつたものと認められる。このような場合、労働者を供給する会社が、形式的には法人格を有していても全く実体のない存在であつたり、法人格の実体を有していても供給される労働者との間に実質的な契約関係というべきものが何も存在せず、ただ形式的に労働契約の外装を作り出しているに過ぎないようなときで、むしろ労働者の供給を受ける者が労働者の採否や報酬額等を直接決定しているといえるようなときには、当該労働者とその供給を受ける者との間に直接の労働契約を締結する黙示的な意思表示がなされたものと推認できることがありうる。しかし、本件においては、前記(1)ないし(8)で認定した事実によれば、花王社は実体を有する独立した法人格であり、かつ、花王社整備員からも被申請人からも実質的な契約当事者と認められた存在であり、被申請人は花王社整備員の供給を受けるについて各個人には着目せず、単に員数として取扱つており、その採否や報酬等を決定する立場にはなかつたのであるから、花王社と花王社整備員たる申請人牛山、同諏訪及び同福田との間には、右申請人らが被申請人の技術部においてその指揮監督の下に就労し、花王社がこれに対して報酬を支払うことを内容とする契約関係(それが民法上の雇傭契約に該当するか否かは別として)が存在し、右申請人らは花王社に対する右の義務に基づいて被申請人の技術部において就労していたものと解される。従つて、前記(一)のような就労の実態があつても、本件のような場合は、花王社整備員たる申請人牛山、同諏訪及び同福田と被申請人との間に直接の労働契約を成立させる黙示的な意思表示があつたものと認めることはできない。

なお、原本の存在及び成立に争いのない疎甲第五八号証によれば、花王社の代表取締役伊藤幸平が、右申請人らほか五名の花王社整備員を被申請人に供給した件につき、職業安定法第四四条及び第六四条第四号並びに労働基準法第六条及び第一一八条第一項に該当するものとして昭和五三年一〇月一七日東京地方裁判所において有罪判決を受けたことが認められるが、そのこと自体から直ちに労働者と供給を受けた者との間に直接の労働契約が成立したこととなるわけのものではなく、単にそのことが労働者供給者と労働者との間に実質的な契約関係が何もないことを示す一つの資料となることがあるだけである。そして本件において花王社と花王社整備員との間にむしろ実質的な契約関係があつたものといいうることは前述のとおりである。

また、前掲疎甲第一五号証(牛山正作成の陳述書)中には、花王社整備員全員は被申請人が本当の雇い主だと思つて働いて来た旨の記載部分があるが、右は、同号証中の他の記載部分に照らせば、花王社整備員の当時の心理的な事実そのものではなく、前記(一)のような就労の実態を理由とする花王社整備員の意見ないし主張を記載したものであることが明らかであり、花王社整備員と被申請人との間に直接労働契約が成立したことを認める資料となりうるものではない。

(三)  以上の理由により、申請人牛山、同諏訪及び同福田と被申請人との間に労働契約が成立したことを認めることはできないので、その余の点について判断するまでもなく、右申請人らの被保全権利は認められないこととなる。

三  被申請人が昭和五二年二月二五日申請人阿部に対し同年三月末日で解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

四  そこで本件解雇の効力について判断する。

1  本件解雇が被申請人のシンガポール航空から請負つていた航空機整備請負契約が昭和五二年四月一日以降解約されて整備員に余剰が生ずることになつたことを理由とするものであることは、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない疎乙第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第二三、二四号証、第二五、二六号証の各一ないし一三、第二七、二八号証の各一ないし一二、証人実方昇暘の証言、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

被申請人は、昭和四三年七月以来シンガポール航空から航空機の整備を請負つていたが、右契約は一定の猶予期間をおいて注文者が何時でも解約できる定めになつていたところ、シンガポール航空は、昭和五二年一月一七日付書面で被申請人に対し、同年四月一日をもつて右契約を解約する旨通知して来た。被申請人からは直ちに本社の代表及び日本支社の技術部長がシンガポールに赴き、更に右技術部長及び日本支社の人事部長がシンガポール航空日本支社に赴き、折衝を行つたが、解約通知の撤回は望めなかつた。被申請人は、同航空以外にも、カンタス航空、マレーシア航空及びエジプト航空から航空機整備を請負つていたが、右のうち整備技師のみが関与しているエジプト航空の整備請負料を除いた請負料総額は、昭和五一年四月から昭和五二年三月までの一年間で一八二、五一三、九八〇円であるのに対し、シンガポール航空分のみでは一〇九、〇八六、三八〇円で、全体の五九・八パーセントを占めていた。また、被申請人の技術部が一週間に取扱う便数(エジプト航空分を除く。)は、到着と出発を各一便と勘定して、自社便一八、シンガポール航空一四、マレーシア航空一〇、カンタス航空六、以上合計四八であり、シンガポール航空のそれは全体の二九・二パーセントを占めていた。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

このように一部門について大幅な業務の減少があつた場合、当該部門の人員を消減してこれに対処すること自体は、使用者として必要かつ相当なことであるといえる。

2  そこで、このような事態に対処する措置として当該部門の特定従業員に対してなした解雇が権利の濫用となるか否かを更に検討する。

(一)  証人大村隆則の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第二一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第三八号証によれば、花王社整備員を含めて整備員が現実に整備作業に従事していた時間数は、一週間につき延約五一四・四時間、そのうちシンガポール航空分は延約一七五・二時間(二便を同時に取扱つている時間帯は各便につき二分の一の延時間として計算)であり、その割合は三四・一パーセントとなる。また、本件解雇前の花王社整備員を含めた整備員数は二四名であつたから、同じ割合で削減可能人員数を算出すると約八・二名となる。

しかも、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎甲第三四号証、証人山田義大の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第六〇号証の一六、証人大村隆則及び同山田義大の各証言によれば、整備員の残業時間のうちシンガポール航空便の整備のためのものが半分近くを占めていたこと、同航空から要求されている点検項目が多かつたため、点検のために要する時間は自社便の大型機の場合に比較して少なくとも延五五分多かつたこと、同航空便については一切の整備作業を被申請人の整備員が行つていたが、カンタス航空及びマレーシア航空については航空機の押出し作業や翼端監視は、被申請人の整備員ではなく別会社がこれに当つていたことが認められ、前掲疎甲第二一号証にはこれらの事情が十分反映しているものとは認められないので、これらの事情を考慮すると、シンガポール航空便整備の業務量の比重ひいては削減可能人員数は更に大きかつたものと考えられる。

(二)  前掲疎甲第二一号証及び第三八号証によれば、本件解雇後整備員が整備すべき便数は一週間三二便、整備従事時間数一週間延約三〇一・六時間、一便当り延約九・四時間であり、本件解雇前のシンガポール航空を除く便数は一週間三四便、整備従事時間数一週間延約三三九・二時間、一便当り延約一〇時間であつたことが認められる。

なお、前掲疎甲第二一号証及び第三八号証、証人大村隆則の証言により真正に成立したものと認められる同第二〇号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第四五号証の二、四、八ないし一一、証人大村隆則の証言によれば、〈1〉本件解雇後は整備員が一名休むと、一班三名の構成となつたために二名で整備に当る必要があり、二名構成の班では一名で整備する場合もあり、一名のみで夜勤をしたこともある、〈2〉人員不足のため、技術部長や整備技師が整備に当つていたこともある、〈3〉人員不足のため、整備未了のままで航空機を出発させたことがある、〈4〉本件解雇前は地上機材整備のため月曜日のC班及び水曜日のD班が当てられていたが、本件解雇後はこのような班がなく、十分な地上機材整備が行われていないとの記載又は供述部分がある。

しかし、〈1〉の点については、前掲疎甲第二一号証及び第三八号証並びに証人山田義大の証言によれば、本件解雇前においては、一つの班で短い時間の間隔で到着又は出発する二便を一時に受持つて整備する場合が一週間に三回あり、この場合は、四名の人員を二名ずつに分けて各班の整備に当つていたこと、本件解雇後二名の班で一便の整備に当るのは土曜日午後一一時頃から日曜日午前一〇時頃にかけてのマレーシア航空便の取扱いのみであり、現実に一名でこれに当る場合があつたのは、他の一名が長期間病気で休んだという出来事のためであつたこと、他の航空会社においても二、三名の人員で一便の整備に当つていることが認められる。

〈2〉の点については、証人山田義大の証言によれば、本件解雇後整備員が一斉に食事をとつたり、超過勤務拒否をしたりする闘争を行つた期間技術部長や整備技師が現場に出て整備業務に当つたことがあること、もつとも整備技師は本件解雇前にも現場に出て翼端監視に従事する場合があつたことが認められる。

〈3〉の点については、証人山田義大の証言によれば、本件解雇整備未了のまま航空機が出発したというのは、いずれも根本的な修理をするためには長時間を要する場合であり、しかも航空機の安全運航には影響のない程度の故障であつたこと、また、同様の事態は本件解雇前にもあつたことが認められる。

〈4〉の点については、前掲疎甲第二一号証、成立に争いのない同第二六、二七号証、証人山田義大の証言によれば、本件解雇前ある班に特定便の整備の割当てられていない日があつたのは、地上機材の整備のためだけではなく、当該班にはその前夜シンガポール航空到着便が割当てられていて、そのための整備が午後一二時を過ぎた場合は翌日出勤しなくてもよいとの趣旨もあつたこと、地上機材の整備は、右の班が右の特定便の整備を割当てられていない時間帯のみにおいて取扱うのではなく、随時行う必要があつたこと、地上機材の整備のためにほかに三名の要員が本件解雇の前後を通じ設けられていることが認められる。

そして、前掲疎甲第二一号証及び第三八号証並びに証人山田義大の証言によれば、本件解雇後は、以前のように一つの班で同時に二便を取扱うような場合はないこと、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎乙第三〇号証の一、二によれば、本件解雇後の方が超過勤務時間が少なくなり、休暇の取得が多くなつていることがそれぞれ認められ、これらの事実をも考慮すると、一班当りの人員数が少なくなつていても、全体としてみれば、以前に比べて労働強化や整備不十分の事態が起きているものとは認められない。

(三)  弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎甲第五一号証及び第五五号証、証人実方昇暘の証言、弁論の全趣旨によれば、被申請人は本件解雇当時昭和五三年夏を目標として大型機一便を増便する計画を始めとして相当程度の増便を希望していたこと、しかし増便計画は被申請人がそのような意向を持つていたからといつて直ちに実現しうるものではなく、現に昭和五三年一〇月に至つて大型機一便の増便が実現したのみであり、他方、本件解雇後逆に自社便一便、カンタス航空一便の減便もあつたことが認められ、本件解雇後現在まで特に整備の業務量が増加したものとはいえない。

(四)  前掲疎甲第五一号証、疎乙第一号証の一及び第六三号証、成立に争いのない疎乙第六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎甲第一四号証及び疎乙第二二号証、証人実方昇暘の証言、弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

被申請人は、昭和五二年一月二八日英国航空労働組合と団体交渉の機会を持ち、その席上でシンガポール航空からの整備請負契約解約通告を理由に花王社との間の労働者供給契約解約及び三名の整備員の解雇の可能性を述べると共に二月七日には整理人員が確定的になると伝え、二月八日の団体交渉の席で右のとおり合計一〇名削減の方針を通告し、同日花王社に対しても同年三月三一日をもつて花王社整備員を通じて提供された役務が必要でなくなつた旨の契約解約通告を行つた。その後、被申請人と組合との間では同年二月一〇日、一四日、二一日、二四日、二五日、二八日、三月七日、一一日、二五日、三〇日と団体交渉が行われたが、組合側は、整備員一〇名の削減は不当である、花王社整備員を入れていることは職業安定法違反である、花王社整備員の解雇は前年末の労働協約をふみにじるものであるとの立場から削減は認めないと主張し、他方、被申請人側は、一〇名の削減は本社からの命令であるとして対立し、右交渉においては、主として人員削減後の勤務表の案を中心として余剰人員があるのか否かについて議論が行われたのみであつた。その過程において、被申請人は、整備員の中から勤務期間の短い者順(古参権逆順)に申請人阿部、岩切恵及び根本和三の三名を整理対象者として選び、同年二月二五日に同年三月三一日付で解雇する旨の解雇予告を行つた。これに先立つ同年二月一八日、被申請人は同年一〇月三一日と昭和五六年一月三一日に定年退職予定の整備員に対し早期退職の条件を提示していたが、昭和五二年三月一〇日右両名が早期退職を受諾したため、同月一四日前記三名の整理対象者の中から古参権順に岩切及び根本をその欠員補充にあてることとし、同人らに対する解雇予告を撤回した。次いで、運転手の定年退職予定者があつたので、被申請人は、右同日、従前の慣行に従い社内募集を行うと共に、組合に対し申請人阿部をしてこれに応募させるよう勧誘し、かつ、同申請人自身に対しても勧誘を行い、その際、更にもう一人整備員の定年退職予定者があつたので、将来その補充として整備員に戻す含みで、将来整備員に戻れる最短距離の仕事である旨組合を通じて伝えたが、同申請人は、一〇人の整備員削減が納得できないこと、自分は航空機の整備を行うために入社したのであつて、それに生きがいを持つて働いていること、自分だけ解雇予告を撤回され花王社整備員が救済されないこと、運転手になると諸手当がなくなる関係から毎月の賃金が約二五、〇〇〇円下ることを理由として、同月一七日、右勧誘を断つた。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、被申請人は、人員削減の方針通告以来多数回組合と交渉を重ねており、結局交渉は進展をみなかつたが、それは労使の基本的な立場が根本的に対立していたために交渉内容が主として必要人員算定の問題に終始してしまつたからであつて、被申請人が不誠実な態度をとつたことにその理由を帰するのは相当でなく、しかも、被申請人は、その過程において解雇以外の方法による業務減少への対処のための努力をそれなりにつづけていたものということができる。

なお、前掲疎甲第五一号証、原本の存在及び成立に争いのない同第五二号証の一ないし八によれば、被申請人は、団体交渉の過程で多数の勤務表の案を作成し、本件解雇後の必要人員数を説明しようとしたところ、結局、組合側の納得を得られなかつたことが認められるが、本件解雇後の必要人員数は将来の問題であり、かつ、数学的に算出し尽せる性質のものではないことを考えれば、右のような事実があるからといつて、一概に被申請人の交渉態度が誠意のないものであつたということはできない。

3  被申請人が五万人を超える従業員数を有する世界的な企業であることは当事者間に争いがないところ、その日本支社において前記認定のような業務の減少があつても、被申請人全体としてみてその経営が危殆に瀕するというようなおそれのないことは明らかである。しかし、そのような場合には解雇によつて業務の減少に対処することが一切許されないというのではなく、本件においては、前記1及び2の認定事実からすれば、業務の減少は被申請人にとつていかんともしがたいところであつたのであり、減少した業務は当該部門内で無視できない比重を占めており、減少した業務量と削減人員数はおおむね権衡がとれていて一時的な業務の減少を口実とした人員削減とは考えられず、申請人は解雇以外の方法による人員削減の努力を尽しており、被解雇者の選択も合理的と認められ、しかも被解雇者たる申請人阿部に対しても他の部門の職が提示され、同申請人の拒否の理由も主として整備員として残留することにあつたのであつて、同申請人を整備員のままで日本支社以外の場所へ配置転換させることは考えられないものということができ、これらの事情を総合考慮すれば、本件においてなお余剰人員を被申請人が負担すべきものとするのは不合理であつて、本件解雇は権利の濫用とはならないものというべきである。

五  以上の次第で、申請人らの申請は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも被保全権利につき疎明がないことに帰し、かつ、保証をもつて右疎明に代えることも相当でないから、いずれもこれを却下することとし、申請費用について民事訴訟法第八九条及び第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 桜井文夫 福井厚士 仲宗根一郎)

(別紙) 目録

申請人氏名   月例賃金額    未払賃金額

阿部秋男  二三八、八二〇円 七、三四四、八五五円

牛山正   二四五、六五〇円 七、七八八、九九〇円

諏訪竹伸  二一八、九六〇円 六、七六〇、一七〇円

福田三男  二三一、九六〇円 七、〇五四、二四〇円

(別表1~4省略)

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